「現実は小説より奇なり」という言葉がこれほどしっくりくる会社は存在しない。
その名も「マーダー・インク」。タイトルにある通り、殺人請負会社である。
プロの殺し屋集団「マーダー・インク」の誕生
1930年代〜40年代にかけて、マイヤーランスキーというマフィアが立案。
ニューヨークの巨大犯罪組織コーサ・ノストラのボスであるサルヴァトーレ・マランツァーノの暗殺を行ったラッキー・ルチアーノを中心として組織された。
そもそも、この殺人株式会社が設立された目的は「不要な殺しを控える」ためであった。マフィア、ギャングの抗争は話し合いで解決するべきであると考えたルチアーノの理想を支えるべく、どうしても必要となる殺しの際は、厳格な審査のもとプロに依頼する。
そこで生まれたのが、この「マーダー・インク(殺人株式会社)」である。当然、無作為に人を殺すことはご法度とされていたこの組織では、鉄の掟があった。
- 殺人はビジネスとして割り切ること
- 民間人を絶対に巻き込んではならない
マーダー・インクのルールと手口
このように、無作為の殺人を減らすために設立されたマーダー・インクは、当時のマフィアにとって必要悪であり、同時に正義だったことがわかる。
もちろん、殺しのプロだけで構成されているため、その手口も実に巧妙で「銃殺、絞殺、刺殺、溺冊」がほとんどだったという。武器も足がつきにくいアイスピック、ロープなどが用いられ、その標的となったのは総勢数百人を超えるという。
しかも、ギャングやマフィアの幹部も大量に殺されていることから、その技術は相当なものだったことがわかる。
実際に暗殺が計画されると、関与者全員のアリバイづくり、盗難車に盗んだナンバープレートを付けた死体運送用車の用意、逮捕された際の裁判に備えた敏腕弁護士の雇用、投獄された場合はその家族の面倒を見るという徹底ぶりだったそうだ。
マーダー・インクが起こした「現代まで続く変化」
さて、昨今の世界でも「政治家とマフィアの癒着」は、誰しもが抱えている悪のイメージだろう。
しかし、これはマーダー・インクのおかげで常識となった正義であり、ワイロをばら撒くことで無益な抗争を避け、必要以上の犠牲者を出さないために取られた策なのです。
このイメージを作り上げた、マーダー・インクのボス「ラッキー・ルチアーノ」は、今でもマフィア史上最大のボスとして語り継がれるギャングスターとなっている。
マーダー・インクの終焉
当時のマーダー・インクでは、盗聴を恐れ「殺す」「抹殺」といった言葉の仕様を禁じ、「ヒット」という言葉を代用するなど用心深く活動していた。
しかし、ある一件で逮捕されたメンバーの一人が司法取引に応じたことで、全て暴露。マーダー・インクは一斉検挙され、終焉を迎えることに。
これによって、当時実際に活動していたメンバーが明るみに。その一部を紹介していこう。
エイブ・レルズ
エイブ・”キッド・トゥイスト”・レルズ (Abe “Kid Twist” Reles、1906年5月10日 – 1941年11月12日) はニューヨークのギャングで、マーダー・インクの殺し屋として最も恐れられた人物である。本名エイブラハム・レルズ(Abraham Reles)。あだ名は、20世紀初頭に暗躍したユダヤ系ギャングのマックス・ツヴェルバッハのあだ名にちなむ[1]とも、彼の好きだったキャンデーの名にちなむともいう[2]。
ルイス・バカルター
ルイス・“レプキ”[注釈 1]・バカルター(Louis “Lepke” Buchalter、1897年2月12日 – 1944年3月4日)はニューヨークのユダヤ系ギャングスター。
イタリア系の犯罪組織と手を組みマーダー・インク(殺人株式会社)と呼ばれる暗殺部隊を指揮していた。2014年現在、アメリカのギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物。
フランク・アッバンダンド
フランク・アッバンダンド(Frank “The Dasher” Abbandando、1910年7月11日 – 1942年2月19日)はイタリア系アメリカ人でマーダー・インクの殺し屋。逃げ足の早さからダッシャーの異名を得た[1]。
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