その日、地元で靴屋を営むジョルゲ・アイヒマンは、不思議な少年と遭遇しました。
1828年5月26日、聖霊降臨で祝日だったバイエルン王国(現在のドイツ)の、ニュールンベルクのウンシュリット広場はもぬけの殻となっており、人通りは全くありませんでした。
そんな閑散とした広場で、ジョルゲは今にも倒れそうな様子で、ヨロヨロと歩く若い男性を発見します。
歳は17〜18、まるで一度も日光を浴びたことがないような白い肌に、生まれて初めて歩くような、ぎこちない歩き方。
ジョルゲは、少年の靴が血で滲んでいることに気づき、すぐに救助を試みます。靴を脱がせると、少年の足は異様に幼く、水ぶくれで腫れ上がっていたそうなんです。
「何があったのか?」といくら質問しても、少年は意思疎通ができない状態で、ただひたすら「ヴァイス・ニヒト(訳:知らない)」と、繰り返し呟くだけでした。
今日は、この不思議な少年「カスパー・ハウザー物語」について、深堀りしていきたいと思います。
▼YouTubeの方がわかりやすいかも
カスパー・ハウザーの数奇な人生
少年は、ジョルゲに2通の手紙を差し出しました。
手紙を開くと、それは「第六騎兵連隊」と「第四騎兵隊」の、それぞれの隊長に向けて宛てられた手紙だったそうです。
不審に感じたジョルゲは、手当を済ませ、少年を最寄りの交番に連れていき、手紙を預けます。
少年はすぐに第四騎兵隊長ヴェセニッヒのもとへ案内されたのですが、そこでの少年の行動に、周囲の人々は困惑します。
蝋燭の火を掴もうとして火傷したり、部屋の隅に置かれた古時計を異常に怖がったり。また、ビールと肉を食事として与えられるも、少年は挙動不審の様子で、ただそれを見つめるばかりだったそう。
結果、パンと水。少年が口にするのは、これだけでした。それ以外の食べ物を与えても、すぐに吐いてしまったと言います。
このあまりに謎が多すぎる少年は、相変わらず意思疎通ができず、言葉を話せない様子だったため、警官とジョルゲは手紙の調査をはじめます。そこに書かれていた内容は、
という内容が綴られていたといいます。
1通目は、最近までこの子の世話をしていた人物から宛てられたもので、2通目は実の母親から宛てられてたものと推測されます。
手紙を持っていたのなら、字は書けるかもしれないと考えた第四騎兵隊長のヴェセニッヒは、少年に紙と鉛筆を手渡します。すると、彼は嬉しそうな面持ちで「kaspar Hauser」と書いたそうです。
以来、この少年は「カスパー・ハウザー」と呼ばれるようになりました。
カスパー・ハウザーの不可解な点
ここまでの内容を見れば、無責任な母親が他人に我が子を押し付けた結果。という話になるのですが、それにしては、あまりに不可解な点が残されたままなんです。
例えば、カスパーに靴を履かせると、すぐに足が血だらけになってしまったそうで。どうやら、これまで彼は靴すら履いたことがなく、異常なまでに足の皮膚が繊細で貧弱だったんです。
また、身につけている衣服も、人が着るものとは思えないほどボロボロで、カカシから剥ぎ取ったものだったんだそうです。
またカスパーは五感が異常に鋭くなっており、コーヒーやビールが置いてある部屋に入ると嘔吐。ワインの匂いだけで酔っ払ってしまう。真っ暗闇で聖書を読む。他にも、常人では認識できない色彩判別能力も持っていたと言われています。
さらに、遠く離れた場所で蝶が蜘蛛の巣にかかっているのが見えるなど、その能力は超人染みていたそう。
こんな不思議な少年が突然街に現れたとして、瞬く間にその噂は広がりました。カスパーはその後しばらく、囚人を収容する小さな塔で、警察に匿われることになります。
カスパーが収容された部屋には小さな窓があり、多くの見物客が訪れました。しかしカスパーは、いくら見物客がいようと微動だにせず、ただじっと座って気にも止めなかったそうです。この噂はやがて遠方まで広がり、著名人や学者までも訪れたそう。
また、カスパーは塔の中にあったおもちゃの馬で、ずっと遊んでいたそうです。さらに観察を続けると、彼は物や人、動物など、生き物と物質の違いもわからないようで、馬の人形に餌を与えることもあったんだとか。
塔の看守が連れてきた11歳の娘と、3歳の息子とも遊ぶようになったり、そこで教養を身につけることもできたそうです。
中でも、カスパーに興味を示した学者の一人、ダウマー教授は、毎日彼のもとを訪れては読み書きを教え、色々な物事を伝え交流を図りました。
この話はやがて市長の耳に入り、カスパーは市議会の庇護下に置かれました。税金で生活費を賄うという特別待遇も受けることができ、多くの人に支えられることに。結果、彼は街にあらわれて数ヶ月で別人のように成長し、知能も年齢相応、言葉も流暢にはなすことができるようになったのです。
ただ不自然な点が1つ。その教養の吸収っぷりが、新しいことを覚えるというよりは「昔の記憶を思い出す」ような様子だったこと。
カスパー・ハウザーの生い立ち
そんなカスパーを気にかけていた市長は、彼を定期的に自宅に招いては、あらゆる話を引き出します。これにより、カスパーは自らの過去を語り始めたのです。
「16歳で初めて外に出るまでは、奥行き2m、幅1m、立ち上がることすらできないほど天井は低く、窓が無い部屋で暮らしていた。床は汚く、ただ積まれているだけの干し草が寝床だった。毎朝起きると必ず、パンと水が置いてあり、それを誰かが持ってきているなんて知らない自分は、それが自然にそこに現れていると思っていた。」
と、語ったそうです。
まあ、人生の大半を外部から隔離された狭い部屋で暮らしていたわけですから、無理もありません。
また彼は、時々水が苦く感じることがあり、それを飲んだ日は深い眠りについたと言います。目を覚ますと、髪の毛や爪、衣服が綺麗になっていたらしい。
現在では、この苦味はアヘンだったことがわかっています。世話をしていた人間が彼と接触しないよう、眠らせていたんでしょうね。
そんなある日、彼の部屋に突然男が現れます。男は「知らない」「軍隊」という2つの言葉に、カスパー・ハウザーという名前の書き方だけを教えたそうです。その後カスパーは馬に乗せられ、最初に発見されたニュールンベルク公園の広場に到着。男に「手紙」の入った封筒を渡され、そのまま置き去りにされ彷徨っていると、ジョルゲに発見された。
というのが、発見までの真相だったようです。
カスパー・ハウザー暗殺未遂
その後カスパーは、それまでお世話になっていたダウマー教授に引き取られることとなります。
ダウマー教授は、カスパーの金属に対する不思議な能力に興味を持っており、カスパーは金属に引き寄せられる感覚を持っていたり、握っただけで金属の種類を識別できたんだそう。
現在、人間の第六感は磁気であるということがわかっているので、隔離生活によって研ぎ澄まされたカスパーの感覚は、そんな第六感を持っていたとしても不思議ではありません。
しかしそんなカスパーの特殊な感覚は、ダウマー教授のもとで生活し、社会に適応していくにつれ、薄れていったんだそうです。
同時に、とある噂が流れ始めます。
彼の見た目は、当時貴族であったバーデン公と酷似していたことから、彼はもともと王室の血筋だったが、何らかの理由で幽閉されていた可能性がある。という噂。
(引用元:カール (バーデン大公)|Wikipedia)
これは単なるでっち上げとも言い切れず、カスパーが生まれた頃、実際に王室の子供二人が行方不明になっているんです。
しかし、この噂を良く思わない王室によって、この噂はすぐにもみ消されてしまいました。
襲われたカスパー
カスパーは自伝を出版したり、新聞で取り上げられたりしたことで、著名人となっていました。
しかし、1829年10月17日、ダウマー教授の家で、カスパーが頭から血を流して倒れているのが発見されます。
ダウマー教授の自宅に何者かが侵入し、カスパーの額をナイフで指したのです。しかし致命傷とはならず、幸い一命を取り留めたカスパーは「急に絹の覆面をつけた男が現れて、棍棒かナイフのようなもので殴られた。僕を16年間閉じ込めていた男性と、同じ声をしていた。」と語ったんだそう。
警察はこの事件から、カスパーを特別態勢で警護。犯人捜索に躍起になったものの、彼の証言に一致する人物は見つかりませんでした。
この事件から、世間ではさまざまな噂が浮上します。
一説では、カスパーが王族の跡継ぎであることを恐れたバーデン公による暗殺未遂だったのでは、と言われています。
カスパー・ハウザー享年21歳
それから四年。
カスパーの親代わりともなっていたダウマー教授が病気になったことから、彼はダウマーの元を離され、孤立していきます。
護衛をつけるも、彼は新しい家族との生活を拒み、常に寂しそうな顔をしていたそうです。
そんなある日、1833年12月14日、それは雪の降る午後のことでした。カスパーはホーフガルデン公園で、血を流し倒れているところを発見されたんです。
駆けつけた護衛に対し、カスパーはこう告げます。
「男が刺した…ナイフ…公園…財布を…早く行って…」
事態を聞きつけた医者がすぐに手当をしますが、脇腹を刺され、傷は肺と肝臓にまで達していて、間に合いません。
そんな中、まだ意識があったカスパーは、事件の詳細を語りました。
「母親の情報をくれるという人物に呼び出され公園に向かったら、そこに男性が立っていた。話しかけると、財布を渡され、受け取った瞬間に突然刺された。」
後に、警察が事件現場の公園に向かうと、そこには財布が落ちており、中には鏡に映して見る逆さ文字が入っていたらしく、
「ハウザーは私がどんな顔で、何処から来たのか、誰なのか知っているだろう。奴から聞く前に、私が誰だか教えてやろう。バヴァリア国境の、河の側から来た者だ。名はMLO。」
と記されていた。
カスパーは死ぬ直前に「ネズミの死因は猫によることは多い。疲れた、とても疲れた…まだ長旅をしないといけないのに」という言葉を残し、事件から3日後、その人生に幕を降ろしました。享年21歳、短すぎる人生です。
事件の真相
この事件では、おかしな謎だけが残されています。
実は、事件現場となった雪の積もる公園には、足跡が一人分しか発見されなかったんです。それも、カスパーのだけ。
一時は、世間の注目を集め一世を風靡したカスパーですが、時と共に、その注目は減っていきました。
この事から、この事件は注目を集めるための、カスパーによる自演自作なのではないか、という噂が流れます。暗殺未遂にみせかけるはずが、誤って深く刺しすぎてしまった、と。
しかし、自分でやるには傷が深すぎることから、それはありえないとされています。
発見された凶器
それからというもの。バイエルン国王が、殺人犯逮捕のため情報提供者に報酬金をかけるも、何も発見のないまま2年が経過。
しかし、それは発見されます。
バーデン公の王宮庭園で、刃渡り14センチ、全長30センチほどのダマスクス刀が発見されたのです。なんとこの短剣とカスパーの刺し傷は、ぴったりと一致していたというんです。
しかし決定的な証拠とはならず、犯人を特定することはできませんでした。
なぜこのような凶器が、バーデン公の庭園から発見されたのか。その真相は、今日に至る現在まで明かされていません。
カスパー暗殺の真相
謎を多く残したままこの世を去ったカスパー・ハウザーですが、その出生について、多くの書物が出版されます。
その中でも有力なのが、カスパーはバーデン大公国のカール大公の第一子である、という説。
当時、カール大公は妻を失い別の后(きさき)を迎えていました。この后が、我が子を跡継ぎにしようと、第一子であるカスパーを幽閉。頃合いを見て釈放したものの、カスパーが予想以上に注目を集め教養を身に着けていったことから、秘密がバレることを怖れて、暗殺したのではないかと言われています。
カスパー死後の不可解な謎
しかも、カスパーが王家継承者であるという陰謀論を後押しするように、その後も多くの不可解な出来事が起こります。
カスパーの生活を支援し、彼から多くの情報を引き出した当時のニュールンベルクの市長や、身の回りの世話や社会復帰のため治療を施した医者たちが、次々と原因不明の死を遂げているんです。
そして、今日に至るまでバーデン家は、その城内への立ち入り調査を頑なに拒み続けています。
謎の少年カスパー・ハウザーは、本当に自作自演で世間の注目を集めようとしたのか。
それとも、不遇にも身分を剥奪され殺された、悲劇の王だったのか。その正体は、未だ謎に包まれたまま。
そんなカスパーの、生前のある日。彼は最も信頼を寄せたダウマー教授と、美しい丘へ出かけます。彼はその景色を見て喜んだあと、こんな言葉を残しました。
「私はあの地下牢から出てこなければ良かった。あの男はどうして私を外へ連れ出したりしたんでしょう。あそこにいさえすれば、何も知る必要もなければ、何も感じる必要もなかった。もう子供ではないという苦しみ、そしてこんなに遅くなって世の中にやってきたという苦しみも、経験しないですんだろうに…。」
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