【死後の世界】臨死体験の経験者に共通する8つのストーリー

死は終わりではない。

臨死体験をした多くの人が、声を揃えて「幸福感」を訴えるのはなぜなのだろうか。

ボクたちは、死ぬのが怖い。死んだら全てが終わり、消えてしまうと思っているからだ。しかし、臨死体験を一度経験すると、「死」への価値観が一変するのだそうです。

今日は、そんな臨死体験の経験者がよく見るという「死後の世界」について、語っていこうと思います。

目次

自分の遺体が見える

自分の遺体が見える
臨死体験とは、幽体離脱の上位互換のような体験です。そのため、横たわっている自分の肉体を見たという人が後を断ちません。

人は生まれてから死ぬまで、自分の姿を視認することできません。鏡や水面に映った自分しか見たことがない、そんな自分を初めて客観的に見た時の感情って一体どんなものなのでしょう?

臨死体験を経験した人曰く、肉体と精神がうまく繋がらず、幽体となって数ヶ月も部屋を彷徨い自分を見ていたと語る人もいるんだとか。

守護天使が現れる

守護天使が現れる
臨死体験をした多くの人が「天使と出会った」と語ります。中には、「天使が壊れた自分の魂を修復し、肉体に連れ戻してくれた」と考える人もいるそう。

天使の姿はさまざまで、その多くが光に包まれていると言います。ある臨死体験の経験者は、天使であろう女性の背後に光が見え、その光に吸い込まれそうになったと言います。しかし、天使の女性は吸い込まれる体験者の腕を掴み、こう告げた。

「あなたの番ではありません。戻りなさい」

不思議なことに、人間は死ぬ直前まで「死にたくない」と考えるにも関わらず、天使に連れ戻された人はみな「あの天使のとこに戻りたい」と考えるんだそうです。

先祖と出会う

先祖と出会う

これはとても有名な話で、誰もが聞いたことがあるでしょう。特に、臨死体験で先祖と出会った人の多くが「死んだ母親と会った」と語っているそうです。

なかには「親族が自分との再開を祝うパーティを開いてくれた」と語る人もいるそうです。もしもこれが本当なら、一度は体験したみたいものです。今は亡き大切な人は、誰にでもいるでしょうからね。

走馬灯が駆け巡る

走馬灯が駆け巡る<

走馬灯とは、これまでの自分の人生を思い出す現象です。体験者曰く、まるで人生のスライドショーを見ているような感覚だと語られます。

これは臨死体験をしていない人でも、比較的多くの人が経験していることなので、読者のみなさんの中にも経験者がいるかもしれません。もしそんな不思議な体験をした方がいたら、ぜひともコメントで教えて下さい。

幸福に包まれる

幸福に包まれる

臨死体験をした多くの人は、とてつもない幸福感に包まれると言います。

幸福と平和だけの世界で、それはこれまで感じたどんな幸福感とも比にならない、内側から溢れてくるような感覚らしいのです。

その幸福感は留まるところ知らず、自分では抑えることもできないほど溢れ、全てを満たすと言います。

看取ってくれた人を観る

看取ってくれた人を観る

これはほぼ全ての臨死体験で語れれると言っても過言ではないほど、多くの人が体験しています。

肉体は完全に生命活動を停止しているため、その周りにいる人の行動や言動を覚えていることは不可能です。しかし、臨死体験の経験者は声を揃えて自分を看病してくれた人、看取ってくれた人の顔や声、言動を覚えているのです。

彼らは、そんな周りの人たちに語りかけたり、触れようと試みたものの、魂だけの存在となっている自分の声は届かなかったと言います。

肉体に戻りたくなくなる

肉体に戻りたくなくなる

臨死体験をした多くは、先ほどの天使の話と同様、溢れんばかりの幸福感を感じると言います。

しかし、肉体に戻ると幸福感は消えてしまい、その幸福感が忘れられなくなるんだそう。臨死体験をした人にとっては、この世こそが地獄となってしまうのです。

光が見える

光が見える

「トンネルの先に光を見た」
「真っ暗な空間に光が差した」

臨死体験をした多くが、こういった経験をしたと語ります。トンネルだったと言う人もいれば、子宮の中にいる感覚だと語る人。中には、おぞましい怪物が無数にいる空間だったと語る人も。

これは人によって違いますが、みんな「暗い空間に光がみえた」と語るのです。なんとも不思議でロマン溢れる話ですね。

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